Twitterを眺めていると若い方で自分の名前の横に「やりたいことで生きていく」ですとか「好きなことで生きていく」という一文を添えている人がいます。
齢37歳のオジサンである私からすると「好きなこと・やりたいことで生きていく」という願望は若い時ほど強い様に思います。
若い時ほど夢を追いやすいので、20代こそはこの「好きなこと・やりたいことで生きていく」という決意を持っていても全然良いと思う反面、自分自身の20代を振り返ってみると当時の自分に説教を垂れてやりたくなる事もたくさんあります。
正直言うと「やりたいこと好きな事で生きていく」という願望は危険も隣り合わせなのでその点について書いていきたいと思います。
目次
「すきなことだけ」では視野が狭くなる危険性が
たとえば「音楽をやって食っていく」ですとか「ダンサーになりたい」ですとか、「役者志望」ですとか、「雇われずブログを書いて生きていく」ですとか、若者の「やりたい・好きなこと」というのは枚挙にいとまがないものです。
かくいう私自身も「音楽を作る」という事が10代のころからのライフワークでしたし、20代は希望を持って音楽に取り組んでいました。もちろん今でもバリバリの現役ですけれど。
ただ、そんな20代の自分を振り返った時に感じるのは「スーパー視野が狭い」ということです。更に言うと「スーパー頑固」でしたね。
若いエネルギーで猪突猛進できた事は今思えば楽しかったのですけれど、今思えばもう少し柔軟にいろいろな事に関心を持つべきだったなと思うこともあります。
若者は特に視野が狭い。本当にいろいろな「大切なこと」に気がついていないのです。
好きでやりたくても儲からないなら生きていけない
自分が今現在ウェブデザイナーとして生計を立てている理由は単純で、音楽よりも「デザイン・コーディング」といった能力の方がニーズが高く、お金を払ってくれる人が多いからです。
例えばクラブイベントのフライヤーのデザインですとか、CDジャケットのデザインですとか若い頃からやっていました。プログラマーとして会社員をやっていた時代にHTMLやCSSなども学び、副業としてウェブサイトを作成して報酬を貰うことなどもありました。
さらに私の好きな音楽は俗に言う「売れ線」のものでは全くなかったので、音楽をやりながら他のスキルで生きていった方が得かもなということを20代後半で気づきました。
正直言うと「楽な仕事」ではありませんし、仕事を真剣にやると嫌なこともあります。
でも、この「やりたくないこと」をして生きてきた事が「無駄」だったり「負け」だったりするかというと全くそんなことは有りません。
むしろ豊かになりましたし、学べたことはたくさんあります。
「やりたいこと好きな事で生きていく」だけでは気づきが無く成長ができない
「やりたいこと好きな事で生きていく」という事がもし達成出来るとしたら、それは「やりたいこと好きな事」が多くの人の需要を満たす事が出来るときです。
もちろん、それはとても幸運なことです。ただし、万人にとって可能な目標では無いことをオッサンは知っています。
こういうとすごくネガティブに聞こえるかもしれませんが、別にネガティブなことを言いたい訳では有りません。
私は自分の今の仕事にはとても感謝しているのですが、何故かと言うとそれは売れなさそうなマニアックな音楽を作りまくっていた時代に比べて「お金が儲かったから」でしょう。
サラリーマン時代よりもよっぽど豊かです。お金があると様々な体験が出来ます。自己投資もできます。世界が広がっていきます。
私は「一番好きな仕事」をしている訳ではありません。正直自分の仕事を嫌いになることもたくさんあります。
だからこそ視野はかなり広がりましたし、さらに自分が苦手としていたことも出来るようになる。成長する機会がたくさんありました。
「短所は放っておけ・長所を伸ばせ」と言う考え方もありますし、それはそれで正解なのは解りますけれど、短所が減っていくというのはなかなか気分の良いことです。何よりも自分を嫌いになる事が減ります。
これは「やりたいこと好きな事で生きていく」ということを徹底していたのであれば、できない発見だったと思うのです。
「やりたいこと好きな事で生きていく」で耐えられる?
いろいろな新しいビジネスモデルができていますよね。「youTuber」ですとか「ブロガー」ですとか、様々なビジネスがあります。
インターネットで情報発信をして「自分自身を商品に生きていく」というのが現在人気です。
たしかに自己承認欲求を満たす事ができますし、自分のペースで物事を進められる、さらに成功出来れば莫大な収益を手に入れられるこれらの生き方は魅力的ですね。
しかし正直なところ、こういった方法で成功出来たとしても人生には試練が絶対にやってきます。
私が知る限り、40歳くらいまでの間に人間には様々な試練が訪れます。試練というのは大抵の場合多くの人にとって「嫌なこと」です。
思うように行かない苦しさがやってくる時に「やりたくない事はやらない」というスタンスで「好きなこと・やりたいこと」に固執してきた人間が耐えられるのでしょうか?
私はそれなりに自分自身を鍛える為に嫌なこともこなしてきた自負がありましたので、こういった試練がやってきたときはむしろ嫌なこともしてきたことに感謝したくらいです。
しかし嫌な上司や会社勤務がかっこ悪い程度のメンタリティで、他人よりもお金と影響力を持っていなければ崩壊してしまうアイデンティティを抱えて、長い人生を「自分自身」を商品に生きていくというのは想像以上に厳しいです。
「やりたいこと好きな事で生きていく」ことで犠牲者を増やしていないか?
残念ですが「やりたいこと好きな事で生きていく」というのは個人の願望です。その願望そのものは残念ながら売り物にはならないのです。
それらが売り物になるときは「やりたいこと好きな事で生きていきたい」という人々に希望を与える時だけでしょう。しかし、残念ながらそれを全員が達成出来る訳では無いのです。
そしてその「やりたいこと好きな事で生きていく」という人々の願望に漬け込むビジネスモデルは、見ているととても滑稽でまるで「マルチレベルマーケティング」と同じ様な売り方になってしまいます。
ネズミ講だって「楽して儲かる方法が有る」という人の心の弱さに漬け込んだ売り方をしているわけです。
反面「ブログを書いて自由なライフスタイルを!」という売り方も同様ではないですか?会社づとめが嫌だ、お金がもっと欲しい、そういった「心の弱さ」に入り込んでいくビジネスを生業にして、本当に心が自由になるのでしょうか?
挙げ句、やりたくないことをして生きている人々を「社畜」と罵る様な人々もとても多いです。しかしむしろその忍耐力を称賛する事も出来ますよね。
「人よりも勝ちたい・褒められたい・自分だけが楽しければ良い」という勝手な欲望で起業しているだけの人間が他人の何を叩けるというのでしょうか。
会社員だって様々です。崇高な精神の持ち主も中にはいるのです。
その様に「誰かにマウントを取っていないと崩壊してしまう精神」に幸福などは有りません。
炎上するべき!といった論調も強い昨今ですが、人に嫌われずに稼ぐ100万もあれば、人に嫌われて稼ぐ100万もあるということです。
実は下策であるにもかかわらず、容易であるから「炎上」を推奨するという必要以上に合理的な考え方が蔓延した時に、「人間」の共同体である社会全体が居心地が良いものなのかどうかも考えるべきです。
嫌われ者には大抵ふさわしい末路が待っています。因果応報とはよく言ったものです。
最後に
「やりたいこと・好きなことで生きていく」という事は幸福な様に一見思えますが、実際のところ幸福とはなんの関係性もありません。
それに「嫌いだったことも好きになる」という事は人間にはよくあります。
残念ながら人間を蹴落とすのはいつも人間ですし、人間を救うのもいつも人間です。
いちいち多くの人間を敵に回してまで「やりたいこと・好きなことで生きていく」というのはただのはた迷惑です。
もちろん、やりたいこと・好きなことで生きていくという事が実現出来ることはとても素晴らしいことだとは思いますが、あくまで害の無い範囲であったり、周囲に不快な気分をさせずに達成すべきです。
他人を幸福にする、ポジティブな影響を周囲に与える、それが本来の「ビジネス」のあり方です。
その点を理解できぬまま「やりたいこと・好きなことで生きていく」というのはただのワガママです。ワガママを通して生きていけるほど世間は甘くない。
そのあたりの理解が薄いと「やりたいこと・好きなことで生きていく」というポリシーは非常に危険性が高いです。
結局個人個人の選択になりますので、完全に余計なおせっかいだなと思いつつも、自分のことばかりでは無く、他人の事も同じ様に大切に出来る世の中になれば多くの人が生きやすいだろうな、と思う今日このごろです。